鹿児島救急医学会について

ABOUT

ご挨拶

鹿児島救急医学会は、昭和52年(1977年)3月20日に第1回大会が開催され、今日まで多くの救急に携わる医療関係者の皆様に支えられてきました。当学会が、救急医学・地域救急医療を推進する中核団体として、今日まで充実、発展してこられましたのも、学会活動に対する深いご理解と長年にわたって支援を賜っております県医師会をはじめ多くの関連団体からのご支援・ご協力の賜物と心から感謝とお礼を申し上げます。

初代会長の秋田八年先生は就任挨拶の中で、「わずか一握りの医師会員から初まった熱意が結実して、鹿児島救急医学会設立総会を迎えるにいたった。県単位では最初の救急医学会であり、責任の重大さを痛感している。」と述べています。それから歴史と伝統のある鹿児島救急医学会は、二代目の朝倉哲彦先生、三代目の鮫島耕一郎先生、四代目の迫田晃郎先生、五代目の上津原甲一先生と引き継がれ、平成28年(2016年)4月1日より私(垣花)が、鹿児島救急医学会の会長を仰せつかっております。

鹿児島救急医学会は、全国に先駆けて最初に設立された県単位の救急医学会であるだけでなく、昭和57年(1982年)の第12回大会から看護部会が、昭和61年(1986年)の第20回大会から救急隊員部会が順次参加し、多職種合同の救急医学会としても全国から多くの注目を集めました。昭和57年(1982年)7月20日付で厚労省の事務次官から各都道府県に「9月9日を救急の日と定める。前後1週間、救急医療習慣とする」という通達がだされたのは、鮫島耕一郎先生のご尽力の賜物であり、鹿児島から「救急の日」を全国に広めることができました。
このように当時(今から40年前)の「鹿児島の救急」は、熱い思いを胸に秘めた多くの関係者の方々のご努力により第一期黄金時代を迎えました。第二期黄金時代は、澤田助教授が鹿児島大学に赴任し、鹿児島大学救急部の若手医師を中心に澤田軍団と呼ばれる集団が活躍した時代です(今から30年前)。今再び、鹿児島で救急に携わる方々は、微かではありますが確実に「第三期黄金時代」の到来を感じています。鹿児島県の救命救急センターが1施設から3施設に増え(2015年)、県内に3機あるドクターヘリにより南北600kmの広範囲に点在する離島に関してもほぼ完全にカバーすることができるようになり、そして最も重要なのが、病院前救急診療や災害医療などにおける、施設間連携、多職種間の連携が、顔の見える関係を築くことで、少しずつ構築されてきていることです。桜島の秘めたるエネルギーに負けない熱い思いを胸に、鹿児島の救急は、ゆっくりとですが確実に第三期黄金時代へ向かっているものと期待しています。

初代会長の秋田八郎先生は「救急医療の基盤には確固たる学問的背景が不可欠であり、本学会はその要求にこたえるべく大いに努力していきたい。」と述べています。救急医学と救急医療とは両輪であり、その点からも本学会の果たす役割は極めて大きいものがあると考えています。2018年からは日本専門医機構のもとで新しい専門医制度が始まりました。救急医療の魅力をさらに発信し救急医を目指す医学部学生や若い救急医を一人でも多く育成することも本学会の重要な使命の一つであると考えております。
これまでの鹿児島救急医学会のよき歴史と伝統を踏襲しつつ、これからの新しい時代にあった特色ある鹿児島救急医学会づくりに邁進し、救急医学の進歩発展、そして救急医療の普及と発展のために会員の皆さまと一緒に頑張っていこうと考えておりますので、今後とも一層の御指導・御支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。


鹿児島救急医学会会長

鹿児島救急医学会会長
垣花泰之

救急と学会の歴史